22日、光市母子殺害事件の被害者遺族、本村洋さん(32)の記者会見が行われた席上で、朝日新聞の記者が放った質問にネットで多数の非難が上がっている。
犯行当時18歳だった元少年に死刑判決が出たことを受けての記者会見で、朝日新聞の女性記者が「この判決で死刑に対するハードルが下がったことに対してど
う思いますか?」と質問。これに対し、本村さんは、「そもそも、死刑に対するハードルと考えることがおかしい」「今回、最も尊うべきは、過去の判例にとら
われず、個別の事案をきちんと審査して、それが死刑に値するかどうかということを的確に判断したこと」などと冷静に述べたという。
この
質疑応答に対しコメントには、「なにを言わせたいのか意味不明」「マスコミのハードルを下げるような質問でしたね」「本村さんは被害者遺族で、死刑評論家
じゃないのに、何を考えて質問したのやら」など、記者に対する批判の声が多い。それに対し、「記者の狙いは自分が求める応答を引き出す事。無礼は百も承知
で質問してる」と記者を擁護するコメントも少数だがある。また、「こういう発言に対して取り乱して怒らずピシャリと言い返せる本村さんは、ほんとうに素晴
らしい」と遺族の本村さんの態度をたたえる声も多いようだ。
----- http://netallica.yahoo.co.jp/news/32318
判決後の記者会見が、繰り返しニュースやワイドショーで映し出され、本村氏の毅然たる様子に、寧ろ救われたような心持だった。
その記者会見の中で「これで気持ちが晴れるか?」と言ったニュアンスの質問が飛んだ。女性の声だった。とても冷たい、まるで本村氏を攻撃するような声質に聞こえた。その質問に「気持ちが晴れたとは言えない」と素直な心情を、冷静に答えている姿、そして、その質問を繰り出した人間の愚かさが対比された場面だった。
私が見た記者会見のダイジェストでは、その質問を中心にしか見ることがなかったのだが、この「死刑のハードル」と表現した人物と、上記の質問をした人物は同一だろうと推察する。それが朝日なら納得だ。
本村氏の主張は、何も死刑を推進する事ではなかったと思う。また、裁判所の判断(最高裁及び差し戻し審)も、単に被害者感情を考慮したものでは無い。寧ろ、弁護団による「疑わしい」新証言や、被告が友人に出した手紙の内容などが斟酌され、うわべの反省や情状を見破り、適性な判断をする事を遺族が求め、また裁判所においても、それが必要と判断したのだ。
寧ろ、裁判所の「適性な」判断を「ハードルを下げた」と表現する記者に異常性を感じる。いわゆる「量刑相場」により、加害者に不適切と思えるような軽い判決が出されていることに、私は違和感を感じてきた。そして、この量刑相場を良しとしない人は少なからずいると思っている。しかし、朝日は、量刑相場を「是」としている希少な存在だ。
http://www.asahi.com/special/080201/TKY200802080181.html
朝日はズレている。市民感情の今あるところから。国益の尊重から。隣国との付き合い方から。様々なところでズレている。だから、本来の被害者遺族に対して「質問」の振りをした批判、否、攻撃ができるのだと思う。そして、言論人としての朝日記者よりも真摯な態度、冷静に選ばれた言葉を使った本村氏の発言にこそ共感が出来る。
既に共感できる言葉を持たない記者が記事を書く新聞が「社会の木鐸」としての地位を占められるとは思えない。その役割が終わったことをアピールする場が、あの記者会見であれば、納得できる。
そして、本村氏の発言から加害者が「殺人鬼」として死ぬのではなく、一人の人間として立ち直ってから刑に臨んでほしいと言う、優しさを寧ろ感じた。
----- 本村さんの一問一答 山陽新聞 「遺族求めた判決」
本村洋さんの記者会見の一問一答は次の通り。
−死刑判決が出て心境は。
「9年の歳月がかかったが、遺族が求めてきた判決を下した広島高裁に感謝している。疑問をすべて解消してくれたすばらしい判決だ。しかし決して喜ばしい気持ちではない。どうすれば犯罪を生まない社会にできるのか考える契機にならなければいけない」
−墓前に報告は。
「できれば早く報告したいので、(北九州市の)お墓に行きたい」
−弥生さんのお母さんには何と声を掛けたか。
「『長くかかって申し訳ありません。ご苦労を掛けました』と伝えた」
−18歳に対する死刑で、ハードルが下がったことをどう思うか。
「ハードルという考え方がおかしい。判例にとらわれず、個別の事案を審査して的確に判断したと思う」
−被告に対しては。
「胸を張って死刑を受け入れてもらいたい。もし罪から逃れたいためにうその供述をしたなら、悔い改めるべきだ。自分の犯した罪を再認識して心から謝罪できる日が来ることを願っている」
−被告の弁護団に思うことは。
「事案の真相から遠のかせる意図で弁護したなら、十分反省すべきだ」
−この判決をどういう区切りととらえるか。
「すべての気持ちは晴れないが、2人の無念に報いることはできた」
−9年間を支えてきたものは。
「遺族の思いを必ず司法が酌んで、まっとうな判決を出してくれると信じてきたこと」
----- http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2008/04/22/20080422010006521.html