2008年05月02日

政治・経済、食糧・エネルギーの不可分性 − 米国、食糧価格対策で7億7000万ドル拠出へ



 未だに「農業問題」と言うと、「経済の効率性を追求して、非効率な産業を切り捨てることが国益に適う」と言う人が多い。特に経済人や米国留学経験のある政治家に偏りが見られる。
 本当にそうだろうか?

 かつてのように経済、というより資金力にものを言わせて、世界中で食糧問題があっても札束で何でも買い付けるだけの能力がこの国に永続的にあるだろうか?経済効率を追求することで永続性の保証ができるんだろうか?

 記憶違いかも知れないが、一旦、廃止した水田を再度耕作可能にするには最低でも5年掛かると聞いた。気づいたときに食糧の輸入能力が無くなっても、私たちは5年待たなければ、輸入依存から脱却は出来ない。しかも、農業が出来るだけの人材を育てるにはもっと大きな時間が掛かる。こうして、机の前でPCを叩いている私が農業に耐えられるだけの体力を作るには、中々の苦労が要るだろう。

 実際のアメリカは農業国だ。日本の多くの食糧も狂牛病やポストハーベスト、遺伝子組み換えなど既に問題を抱えながら、彼らの農業生産能力に頼らなければ成らないのが実態だ。そのアメリカの農業が「食糧」から「エネルギー」にシフトしだしてしまった。OPECも1バレル200ドルの可能性すら示唆しているのだから、「経済効率」を考えれば、より高く売れる作物を作るのは当然だろう。

 腹が減っては戦は出来ないのである。中国、インドが農業から工業へ労働人口をシフトしている状況もあって、「食糧」の生産能力は漸減しているような気がする。

 ブッシュさんもさ、そろそろ引き際な訳だ。この経済政策が金持ちに受けるかどうかはしらねぇが、自民党さんがバカにした民主党さんの「農業バラマキ」公約と一緒で、結果として国と世界の足腰を守ることになるんじゃねぇのかねぇ。白い米、菜っ葉に味噌汁。そんな食事だって、俺たちゃ自前で用意できねぇ国なんだ。そんな国が札束でほっぺたひっぱたきながら、ヨーロッパやら南アメリカやら、しまいにゃアフリカまで言って食糧を輸入してる。輸入している路上にゃ食糧危機で飢え死にしてる餓鬼や年寄りもいるはずだ。だけど、そんな贅沢を否定はしねぇよ。だって、俺だってマグロも牛も好きだし、時にはフォアグラだの北京ダックだの家畜が贅沢した上でしか食えねぇ贅沢の二重取りみたいなもんだってクイテェさ。でもな、道路作るよりもだ、オリンピックやるよりも、もっと足腰になるところによ税金使った方が、世のため人のためなんじゃねぇのか?
 やっぱりよ、どんなに食いつぶしたって、手前の金で、米に菜っ葉ぐらいの飯はよ、食えるようにしてくんねぇか。他の国が「おめぇのところに売る余裕なんざねぇよ」といわれてもよ、それでも安心して、飯が食えるくらいのことできねぇのかな?それが働いてる人間にとっての政治ってもんじゃねぇのかね?
posted by ぼへみあん at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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